あまり優秀だったとは言えないが、とりあえずピオーヴァ音楽学院の卒業を果たした
アーシノは、そのまま私の助講師として勤めることになった。受け持ちの生徒がそのま
ま講師の下につくことはよくあることだったが、今までは受け持ってきた生徒の数が少
なかったために、一人でこなしてきた。しかし、リセルシアという学院にとって特別な
生徒を預かることになり、学院長からの指示が出たのだった。私としてはリセルシアを
特別扱いするつもりは全くなかったのだが、ちょうどその年の卒業生であるアーシノが、
未だに未熟であり、かつ教えることもたくさん残っていたために、こうして助講師とし
て迎え入れたというわけだった。
たしかに、雑務を任せられる者が下についたのは良かった。だが、毎日のようにフォ
ルテールの面倒を見ることになり、この半年というもの、一向に仕事が楽になったとい
う感じはしなかった。その選択をしたのは自分であり、楽しんでもいたが。
「おまたせしました、先生」
「ありがとう。では、いただこうか」
来客用のソファーに向かい合うように座り、一口紅茶をすすった。季節は夏へと移り
変わっていたが、ピオーヴァはこの国では、比較的穏やかな気候をしている。それに加
え、室内はひんやりとしていて、暖かいミルクティーが心地良かった。
「それで、見つかりそうなのか?」
一息つき、アーシノにそう尋ねてみる。
「まだ、なんとも言えませんね」
歯切れ悪くそう答え、話を逸らすためか、アーシノは残った紅茶を一気に飲み干した。
「今は、悩むといい。私にも経験がある」
「へえ、コーデル先生にもそんなことが?」
「心底驚いた、というような顔だな」
「今の先生を見ていると、そうは思えなかったんで」
茶化すような口調でそう言うと、アーシノは軽く肩をすくめた。それに合わせるよう
に、私も笑いながら続ける。
「ほう。君にはいったい、私がどう見えてるんだ?」
「悩むことなんて、なさそうに見えますね。やることもすべてわかっていて、自分で決
めた通りにこなす人……もちろんこれは、誉め言葉のつもりで言ってるんですけど」
不遜な言い方だと思ったのか、最後にそう付け加える。
「あまり誉め言葉には聞こえないが、まあいいだろう」
「でも、同じ経験って? 学生時代の話ですか?」
「ああ。もっとも私の場合、卒業する前にその類の悩みは解決していたが」
「この仕事を紹介してくれたのも、そうしてもかまわないって言ってくれたのも、全部
コーデル先生だったと記憶していますが?」
「ああ、一応これでも講師としてのプライドというものがあってね――不肖の弟子を一
人前に育てるまでは、放り出せない性分なんだ」
つまるところこれが私の本音で間違いなかったのだが、アーシノもそれは承知の上で、
必要以上に気にかけずにこの問題について話すことができる。それくらいには、この問
題に対する二人の認識も、近づいてきているのだろう。個人レッスンが始まってから卒
業までの二年、そして、卒業してからの約半年――思えばこんな会話ばかりを続けてき
たせいかもしれない。
「ま……感謝してますよ」
しばらく黙ったままだったアーシノは、かすかに笑みを浮かべた。
「感謝だけかな?」
「尊敬もしてますよ」
「ほう。君が、私を?」
「感謝し、尊敬してます。心から」
「それは殊勝なことだ」
いつもの軽口につきあってそう答えると、一瞬彼の顔がくもった気がした。しかしす
ぐにいつもの皮肉っぽい笑みを浮かべ、再び肩をすくめる。
「まだ、なにか足りないですか?」
「なにがだ?」
「感謝の言葉ですよ。これでも結構真剣に言ってるつもりだったんですけど、冗談で流
されてしまいましたからね」
意外にも、あれで真剣なつもりだったのだろう。いや、アーシノらしいといえば、ら
しいか。
「いや、それで充分だ。それでも私には、できすぎた言葉かもしれないしな」
「もう一つだけ付け加えるのなら」
「ん? なんだ?」
「愛は尊敬から始まるんですよ」
――本音か軽口か。
普段から冗談めいて話すのは、こんな時、それを隠すための彼なりの処世術なんだろ
う。もっともそれが、あまりにも見え透いていて、私には微笑ましくすら感じられた。
「それは、口説いているのかな?」
「どっちだと思いますか?」
だから彼は、どちらにもとれるように、そう言った。
だから私は、私にとって都合の良いように、こう答える。
「君にはまだ、早いな。十年後に期待している」
「それは、失礼しました」
深々と礼をして、アーシノは完璧な笑みを浮かべた。
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